作品
第4話:知らぬ振りで
「っ……あ……?」
額に置かれたひやりとした感触に目を開けたら、玄冬と視線がぶつかった。
奴が軽く息をついて、少し表情が和らいだ。
「気が付いたか」
「……俺は」
「だから、休めといったんだ。
自分で熱のあることにさえ気づかないなんて」
「倒れた……のか」
我ながら不甲斐ない。
……そうだ、思い出した。意識が遠のいてそのまま……。
よく見れば、ここは自分の館の自分の部屋。
こいつが連れてきてくれたんだろう。
「世話をかけたようだな。すまなかった」
「いや」
「今はもう……夜か?」
「ああ。もう深夜に差し掛かるくらいのな。
……おい。今から遅れた分の仕事をとかいうつもりじゃないだろうな」
「……まさか」
今、やったってまた同じことを繰り返すのが目に見えている。
そこまで愚かではない。
「それならいい。医者が薬を置いていった。後で飲んでおけ」
「ああ」
枕元のサイドテーブルには、水差しと薬の包み。
そして、水の入った洗面器。
もしかして、目が覚めるまで傍にいてくれたのだろうか?
……だとしたら。
さっき見た、あれは……。
「あんたの妹たちも心配していた。
ゆっくり休んで、さっさと治せ。……忘れるから」
「……忘れる?」
「あんたが倒れる前に言ってたことだ。
熱の所為で口を滑らせたと思っておく。だから……」
「そうやって……」
「……おい。無理するな」
身体を寝台の上に起こして、俺に近寄ろうとしていた玄冬の袖を掴む。
覗いた腕は心なしか最初に会ったときより細い。
いや、気の所為じゃない。痩せたんだ。
くそ……無理をしてるのはどっちだ!?
無性に腹が立ってきた。
「ずっと……知らぬ振りでいるつもりか。
自分の中の辛い感情を押し込めて……!
どうして一人で抱える!?
忘れることもふっきることも出来ずにいるくせに!
それをあいつが……黒の鳥が望んでいるとでも!?」
「っ……!! あんたに何がわかる!?
俺たちのことなどろくに知らないくせに!」
「ああ、知らないな。
貴様が何時までも自分の感情を上手く制御できずにいて、一人泣いていること以外はな!」
「な……っ…………!?」
朱に染まった顔を引き寄せて、強引に口付けた。
柔らかい感触が少し冷えている気がしたのは、自分が発熱しているからだろう。
どのくらいそうしていたのか。
長かったかも知れないし、もしかしたら短かったかも知れない。
気が付いた時には玄冬が俺の肩を押し退けて離れ、何も言わずに部屋から出て行った後だった。
「無かったことになんか……させないからな」
誰もいなくなった部屋で一人呟く。
踏み込みすぎたかも知れないが、そうでもしなければあいつはこの先もずっと、何も誰にも吐き出すことなんてできないだろうから。
自分の胸の内を。
無意識のことだとしても、自分を粗末に扱うのは……止めて貰いたい。
もう、縛られてはいないのだから。
――俺たちのことなどろくに知らないくせに!
『俺たち』の言葉に籠められた響きに、僅かに胸が痛い。
どれほど想いあっていたかが、わかる。
それでも。
過去にはもう戻れない。
受け止めなければならない。
昇華させなくては、自分が潰れてしまう。
それをわかっているのか? 玄冬。
***
――唇同士のキスは特別だよ。
「……どうして…………」
触れられた熱い唇の感触をなぞる様に、そっと指で触れてみる。
黒鷹以外に口付けされたのは初めてだ。
口付けは……愛しいものへの想いを表す証としてするのだと。
唇同士はその中でも特別だと。
ただ、一人何があっても代えがたい大切な相手のみに許された行為だと。そう教えられたのだ。
だから、何度も何度も。
黒鷹とは口付けを交わした。
唇には勿論、他の場所にも数え切れないほどされたし、俺も黒鷹に口付けた。
愛しくてたまらなくて。
口付けを交わすほどにその想いは募った。
――ある意味、儀式かも知れないね
――……儀式?
――大切な相手だと確認するための。嫌だと思った相手とは、絶対にできないからね。
嫌、ではなかった。
寧ろ、心地よい感触に呑まれそうになった。
途中で黒鷹の顔が浮かばなければ、そのままにしてしまっていたかも知れない。
……いけないと思うのに。
心を動かされてしまっては。
俺にはもう誰かに大切に思って貰う資格なんてありはしないのに。
黒鷹のように、花白のように。
もう大切だという人を作ってはいけない。
作ってしまって、もし、また失くすようなことにでもなったら。
今度こそ俺は自分の存在を許せない。それなのに……。
――忘れることもふっきることも、出来ずにいるくせに!
出来るわけなんかない。
俺の世界はずっと黒鷹と共にあったのだから。
あいつが愛してくれたから、俺を必要だとしてくれたから、この世界に生きる沢山の命、それぞれにも愛し、愛されてるものがいるのだと知った。
……どうして、忘れることなんか出来るだろうか?
「黒鷹……」
逢えなくなった今でも、どうしようもないほどに愛しいと思う。
だけど、同時にあの水色の真っ直ぐな眼差しが心を離れない。
最初に会ったときから、よくわからない気安さみたいなものは感じた。
多分、どことなくお互いに似た部分があるからだろう。
一緒に仕事をしていても、何故か昔からずっとそうしていたように、馴染んだ感じさえあった。
「まさか……な」
知りたい。だが知りたくない。
この感情の正体を。
認めてしまってはいけない気がした。
「黒……鷹」
知らぬ振りでいたい。
あいつが俺の心の中を占めつつあるという、そのことから。
- 2008/01/01 (火) 00:05
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