作品
第2話:Green
『救世主』も『玄冬』も、事実上この世界から居なくなった今。
元来は玄冬討伐隊として結成されたという、銀朱率いる第三兵団も解散になり、銀朱は隊長職を退く予定だったらしい。
第三兵団だけでなく、他の軍の隊員にしても、かなりの数が花白に殺され、彩の軍全体を再編成する必要があったことも一因と聞くが、銀朱は自分にはたくさんの人々を助けられなかったから、隊長職としては相応しくないと。
自らそう申し出たのだそうだ。
しかし、第三兵団の隊長である銀朱がもつ、軍を統率する能力というのは、文官等から伝え聞く話によると、かなり優れたものであるようだ。
実際の統率力については、軍属ではない俺にはよく解らない。
ただ、銀朱が部下から慕われている様子から、その片鱗は垣間見える。
対外的には、玄冬が救世主に討伐された後、世界が滅びずに続いていくことに乱心した逆賊が、救世主や彩の国王たちを殺したことになっているが、その中で銀朱が存命だったことを知った軍の若いものたちは皆泣いて喜んでいた。
――ただでさえ、人がいない今。
貴方がその力を活かせる立場にあらずにどうするというのです?
先代国王の跡を継いだ王女――現彩の女王による鶴の一声で、結局、銀朱は新たに中央守護隊という軍を任されることになった。
今日は軍による合同演習があるとのことで、銀朱率いる中央守護隊の面々は北方の国境近くまで出払っている。
予定通りなら五日は戻らないはずだ。
昨夜、銀朱の部屋で軽く飲み交わした時の話を思い出す。
――大変だな、あんたも。
――演習等で緊張感を保たねば、腕も鈍るしな。
情勢もまだまだ不安定な現状、万が一を考え、鍛えねばならんのは当然のことだ。
それに……
――うん?
――北方国境警備隊の隊長は俺の再従兄弟にあたる男でな。
剣の腕はかなりのもので、奴と手合わせ出来るのが演習での楽しみの一つだ。
――ほう。嬉しそうだな。
以前、東方だかの国境警備隊の隊長と会うときは渋い顔だったのに。
――蘇芳は血縁だからというのもあるが……ああ、その再従兄弟の名だ。
一時期は、父に剣を師事していたこともあり、兄弟のように過ごしていた時期もあってな。
東方の口先だけの阿呆とは比べ物にならん。余計な嫌味なども言わんし。
――なるほど。
――少し癖はあるが良い奴だ。機会があればお前にも会わせる。
……今回連れて行けんのが、残念だ。
俺は銀朱の補佐についているとはいえ、剣の類は扱えないから、軍務そのものについては、ほぼ関わっていない。
軍の予定の確認や、所有している資料等の整頓、軍で利用する様々な武具や道具、薬等の在庫を確認したり、何か不足の品があれば注文したりするのが俺の仕事だ。
なので、軍が合同演習などで遠征していても、基本的には遠征にはついていかずに王宮内に留まり、いつもと変わらない仕事をすることになる。
彩で過ごすようになってからは、銀朱と顔を全く合わせないような日はほとんどなかったから、あいつと数日会えないことに寂しさを感じないと言えば嘘にはなるが。
「静かなのも悪くはない、な」
銀朱や他隊員の来ない銀朱の執務室で、一人仕事をしていることにほっとしている面も正直あった。
少し、人疲れしていたのかも知れない。
長いこと、黒鷹と二人暮らしだったし、他人との交流も花白を除けば、村に買い物に行ったりする時ぐらいに限られていたから。
これが、黒鷹や花白を失った直後だったら、また違ったのだろうが。
――黒鷹を忘れることは出来ないと思う。
それでも……あんたの傍にいていいのか?
――……当たり前だ。馬鹿が。今更、他のどこに行くつもりだ。
数日すれば銀朱が戻ってくる、あいつが傍にいる、という安心感が根底にあるからだろう。
今朝の出立が早いから、昨夜は肌こそ重ねなかったけど、二人寄り添って眠りについた。
黒鷹とは、声も吐息も体温も熱も。
当然、何もかもが違うのだけれど、銀朱の存在は心地良いものとして浸透しつつあった。
……自分の中でも色々整理がついた、というところか。
「……と、そうだ。薬の補充をしないと」
隊が演習に持参していった為に、薬の在庫が大分減っていた。
ある程度の量は帰還したら戻ってくるだろうが、それでも一応補充しておく必要がある。
「怪我なんてしていなければ、いいんだが」
銀朱は楽しそうではあったが、銀朱の再従兄弟だという北方国境警備隊の隊長とやらは、剣の腕が相当立つと言っていたし、少し気にかかる。
気にしたところで、どうにもなりはしないのだが。
薬の在庫確認用のノートを取り出し、薬草の効能や薬の処方についての書と併せて確認していく。
しばらく目を通していると、あることに気がついた。
様々な薬草の効能や、薬の処方について等、書に記載されている知識の大半は一人の人物によって手がけられている。
同名の人間でなければ、七、八割ほどは『時雨』と記された者に。
「……凄いな、こいつ」
その時雨という者が記したであろう記述は、記録からすると二十数年前のものらしい。
が、以降の記述は数少ないところを見ると、今もなお、役立つ内容ばかりだということだ。
銀朱が常に手元に置いてあり、時に交わりの際の潤滑剤に利用している傷薬にしても、この人物が残した処方箋によるものであることを初めて知った。
「なるほど、あの薬はこうして作ればいいのか」
以前は黒鷹も俺も治癒能力を持っていたのもあって、薬を使う機会はあまりなかったから、正直薬の類には詳しくない。
植物についての興味はあったから、ある程度の薬草の効能等は知っているが、それで薬の処方が出来るかというと別問題だ。
しかし、『玄冬』としての力がなくなり、治癒能力も失せた今となっては、薬の知識は色々と覚えておきたい。
銀朱は軍人だし、戦でなくとも演習等で怪我をしないとは限らない。
いくつか気になった薬の処方を、自分用のノートに書き付けておくことにした。
ほぼ、その作業が終わった頃。
コンコン。
執務室の扉を叩く音が響いた。
……誰だろう。
文官あたりか?
「はい?」
「やあ。お疲れ様、玄冬。頑張っているみたいだね」
「ご当主」
扉を開けると、そこにいたのは先代の第三兵団隊長であり、銀朱の父親である灰名だった。
既に軍は退役しているとはいえ、人材が不足してしまっている今の彩では、重要な位置を占める者として、客将のような立場にある。
なので、王宮にも月に一、二度程は訪れるが、今日はその日ではなかったはずだ。
「銀朱なら……」
「ああ、居ないのは知っているよ。私も元軍属だからね。
この時期は、軍全体で日にちをずらして、合同演習がある。
今年は第三兵団……じゃない、中央守護隊か、今は。
北方国境警備隊と合同演習だろう?
だから来たんだよ。君と話をしたくてね」
「俺、と?」
彩で銀朱の補佐という立場になってから、俺は銀朱の館、つまり灰名も一緒に住んでいる館にずっと世話になっている。
単純に話というのなら、館でも出来るはずだ。
と、言うことは他の家族に、とりわけ銀朱の耳に入れたくない話なのだろう。
「そう。……少し時間は取れるかい? 今日は天気がいい。
外で昼食を取りながら、話をしよう」
少し警戒はしたものの、穏やかな物言いに否とは言えなかった。
- 2013/10/05 (土) 00:19
- 続編:Perpetual ring
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