作品
居場所
ガシャーン!
「っと、しまった!」
しまおうとした皿をつい手から滑らせて床に落とす。
割と気にいってた皿だったのに、見事にバラバラだ。
「くろと!? どうしたの!? お皿割っちゃったの!?」
「大丈夫だ! お前は危ないから、こっちに来るな!」
音を聞きつけて台所に入ろうとしたちびくろを制し、床に散らかった皿の破片を拾う。
「あ……」
うっかり割れた鋭利な面に触れてしまい、指先を少し傷つけた。
が、どうせ俺の場合だとすぐに血は止まる。
だからそのまま皿を片付けようとしたら、指を取られて、何時の間に傍に来ていたのか、黒鷹がそれを自分の口に含んだ。
暖かい感触が馴染んで来ると同時に消えていく微かな痛み。
指が黒鷹の口から解放されたときには、既に傷は消え失せていた。
血の跡も舐め取られて残ってはいない。
「……有り難う」
「まったく……君も頑固なんだから」
「何のことだ」
「分かっている癖に。気になるんだろう? あの子が。雪も降ってきたしね」
「それは…………」
――どうして、相手を傷つけた!?
――そういうことをしてはいけないとあれほど言っただろう!?
――……お前なんか、知らない。勝手にしろ!
村の子どもと喧嘩をしたちびたかにそんなことを言ってしまい、あいつが家を飛び出してから、もう数刻。
外は日が落ちて暗くなりはじめたのに、まだ帰って来ない。
その上、雪も降り始めている。
大分冷えてきただろう。
気にならないわけがない。
「私が迎えに行ってくるよ。
どうせ、君だって少し言い過ぎたと後悔してるんだろう?」
黒鷹がそっと抱きしめてきた腕に、そのまま身を預ける。
肩に頭を預けたら、優しく撫でられた。
宥める様に。
やっぱりわかってたか。
そう、つい感情のままに怒りをぶつけてしまったのを、確かに悔やんでいたから。
他にもっと言い方はあったはずなのに。
泣きそうな顔してたな、あいつ。
「……悪い。頼む」
「ああ。夕食の準備が終わるまでには連れて帰ってくるから。
肉が多いと嬉しいかな」
「わかった」
ちびたかも黒鷹に似てというのか、肉が好物だ。
野菜を食べたがらないところまでは似なくてもよかったんだが。
黒鷹がコートを羽織って、外へ出ようと玄関の扉を開けると、吹き込んできた風が予想以上に冷たかった。
……ちびたかは大丈夫だろうか?
出て行ったとき、あいつは上着をちゃんと着ていたか?
ずっと外にいたのだとしたら、今頃相当冷えてしまっているんじゃないだろうか。
「大丈夫だよ。玄冬。見つけたら直ぐに抱いて温めてあげるからね」
こっちの考えを見通してるかのように、黒鷹がそう言った。
「じゃあ。行って来るよ。
ああ。夕食もだけど、温かいミルクとミルクティーもよろしく頼む」
鳥の姿に変化して飛んでいった黒鷹を目で追いながら、早くちびが見つかることを祈った。
***
「やぁ、こんなところにいたのかい」
「くろ……たか……」
大きな木の根元で蹲っているちびたかを見つけるのに、さほど時間はかからなかった。
人型に戻り声をかけると、顔をあげたちびたかの目の周りや頬はすっかり赤くなってしまってる。
冷えただけじゃないな。散々一人で泣いていたんだろうね。
それにしてもこの場所は。
懐かしいな。何時だったか。
私があの子に『玄冬』であることを告げて、家を飛び出してしまったのを迎えに来たのはこの辺りだった。
何の縁だろうね。
「おいで。うちに帰ろうじゃないか。冷えただろう?
そのままでは風邪をひくよ?」
「……帰れない」
「ちび」
「だって……くろと、凄く怒ってた……」
そう呟くと、ちびの目にみるみる涙が溜まっていく。
まぁ、びっくりしただろうね。
玄冬があんな風に怒鳴ることなんて滅多にないことだから。
「大丈夫。もう怒ってないよ。
玄冬もちょっと、言い過ぎたと思ってるみたいだったしね。
心配していたよ」
「……くろたか」
「うん?」
「俺もくろも、『余所の子』じゃないよね?」
「ちび?」
「くろたかとくろとの子だよね? 『うちの子』だよね?」
「……他に何だと言うんだね」
血は繋がっていなくても、赤子の時から玄冬と私で育ててきた子どもたち。
『余所の子』だなんて考えたことも無い。
抱きしめようと伸ばした腕に、ちびたかが躊躇わずにしがみついてくる。
そのまま、抱きあげて胸に抱えると首に腕を巻き付けてきて、私の肩口に頭を預けてきた。
玄冬相手ならともかく、私に甘えるように接してくるのは珍しい。
自分と同じく少し癖のある髪に触れると、ところどころが少し凍りついていて冷たい。
首に回された手も随分体温が下がっている。
風邪をひかなければいいが。
コートでちびたかごと包んで、少しでも体温を逃がさないようにした。
「……どうしたんだい?」
「変だって、言われた。『おとうさん』と『おかあさん』がいるのが『ふつう』でうちは変だって。
変なんかじゃないのに。『ふつう』なんてわからないよ。
そんなに『ふつう』って大事?
……俺はくろとと、くろたかと、くろがいればそれでいいのに……あいつら、うちは『ふつう』じゃないから、くろも俺も『余所の子』なんだろうって」
「……だから、あの子たちに手をあげたのかい?」
ちびたかの身体がびくりと震えて、しがみつく力が一層強くなった。
「それでも、暴力はいけないよ」
そっと背を撫でてやると小さい泣き声がし始める。
「『ごめんなさい』できるね? 相手の子にも、玄冬にも。
何にしろ、手を上げてしまったのは君なのだから。
それについては謝らなくてはいけないよ」
「ん…………」
小さい声ではあったけれど、ちゃんと返事が返ってきた。
「よし、良い子だ。帰ろう。玄冬が夕食を作って待ってるよ」
「……俺の分もあるかな」
「当たり前じゃないか。『うちの子』なんだから」
やっとちびが顔をあげて笑った。
***
「手伝うよ、くろと」
夕食の皿をテーブルに並べていると、ちびくろが寄ってきてそう言った。
「有り難う。じゃあ、この皿を全部並べて貰ってもいいか?」
「うん」
テーブルに持っていた皿を纏めて置いて、ちびに任せた。
こいつはこういうところによく気が回る。
黒鷹に言わせれば、『君の小さいときにそっくり』らしいが。
血の繋がりは無くてもなぜか不思議とちびたかは黒鷹に似ている所があるし、ちびくろは俺に似ている所がある。
ちびが並べた皿の上に料理を順に置いていくと、ふとちびがこっちをじっと見ているのに気づいた。
「どうした?」
「くろと……まだ、たーのこと怒ってる?」
「うん?」
「たーは……悪くないよ。
ううん、相手を叩いたのはいけないけど、元はあいつらが悪いんだよ」
「……ちびくろ?」
「うちが変だなんていうから。……変じゃないよ。
俺、くろたかも、くろとも、たーも大好きだよ。
それでいいよね? 一緒にいておかしくないよね?
俺たち『うちの子』だよね?」
「ちび」
そうか。やっと事情がなんとなく掴めた。
あいつはそう言われて怒ったのか。
「たーがやらなきゃ、俺がやってた。
ねぇ……だから、もうたーを怒らないで」
小さい肩が震えてる。泣くまいと堪えて。
手にしていた鍋を置いて、ちびを抱きしめた。
「もう怒ってないから。お前が泣くこともないだろう」
「だって、くろと凄く怒ってたから。……たーを嫌いじゃないよね?」
「当たり前だろう?」
「よかった……」
ちびの安心したような声に、少し胸に痛みを感じた。
ちびくろでこうなんだから、言われたちびたかはもっと怖い思いをしただろう。
……やっぱり、強く言いすぎたな。
そう考えていると、玄関の扉が開いた音。
ちびと顔を見合わせて玄関にいったら、コートの雪をほろっている二人。
「今夜はこのまま降り続きそうだね。っと、ただいま。二人とも」
「……おかえり」
「……う」
俺の姿を認めたちびたかが、黒鷹の後ろに隠れるように下がるのを、黒鷹が苦笑しながら頭を撫でて促す。
「ちびたか。……ほら」
黒鷹に言われて、前に出てきたちびが、目を潤ませながら俺を見上げてきた。
目が赤い。泣いてたんだろうな。
「……め……なさ……ごめん……なさ……!」
「……もう、いい。俺もちょっと言い過ぎだったしな」
「ふぇ……!」
ぽんと頭に手を置くと、こらえきれなくなったちびが顔を歪めてしがみついてきたから、そのまま、抱きあげて額にキスをしてやる。
「やれやれ甘えん坊だな、お前は。一体、誰に似たのやら」
「……そこで私の顔を凝視しながら、言う理由を聞かせて貰えるかね」
「言わなきゃわからないか?」
「君こそ。ベッドの中ではあ……」
ちびたちの前で余計なことは言うなと、視線で訴えた。
***
気配が静かになった頃、そっとちびたちの部屋を覗いてみる。
ちび二人は並んで、手を繋いだままで眠っていた。
その図がなんとも微笑ましい。
捲れている上掛けを、そっと肩まで上げてやるとちびたかの目元に薄らと涙がにじんでいた。
やれやれ。
安心したら、また泣いてたかね。
目元をそっと袖で拭ってやって、ちび二人の額に軽くキスをしてから部屋を出た。
居間に戻ると本を読んでいた玄冬が顔を上げる。
「もう寝てたか?」
「あぁ、手を繋いで気持ち良さそうにぐっすりとね」
「そうか。お茶淹れてあるが飲むか?」
「貰うよ」
そう言うと玄冬がカップを持ってきて、私の分のお茶を注いだ。
今日のは結構甘い香りがする。珍しいな。
お茶を淹れて、二人でソファに座り、しばらく静かにただそれを飲む。
不意に、玄冬が私の肩に頭を預けた。甘えるように。
「玄冬?」
「……時々、お前には敵わないと思う。
難しいな、子どもを育てていくのは」
「まだ、気にしてたのかい」
「ん……」
そのまま、頭を撫でてやる手にも逆らわない。
結構落ち込んでいるかな、これは。
「大丈夫だよ。親だって、最初は初心者だからね。
子どもと一緒に成長すればいいさ」
「そういえば、ちび……くろの方だけどな」
「うん?」
「たーを怒らないで、悪くないからって。泣きながら庇ってた。
相手が変なことを言ったから、手をあげたんだって」
「そうらしいね。大体聞いたよ。……『余所の子』だって言われたってね」
ちびくろが庇ったのは初めて聞いたが、あの子なら確かにやりそうだ。
「子どもにも教えられることがあるんだな。そう思ったよ」
「人生は何時だって、何かを学べるものさ。だから人は成長できる。
子どもでも大人でも、それは変わらないよ。
それにね。君にも、もし兄弟がいたのだったら、きっと同じようなことを言っていただろうさ」
「兄弟、か」
優しい子だから。
もっとも、それだったら玄冬とこういう風にはならなかったかも知れないけれどね。
「なぁ、そういえば。
俺の親はお前で、ちびたちにとってもお前は親だよな?」
「まぁ、そうなるね」
「ということは、ちびたちは俺には弟ということにもなるのか?」
「む、それは考えつかなかったな」
ちょっとだけ、『兄弟』という関係を前提に色々と考えてみる。
「んー……さすがに年が離れてるせいか、イマイチ、ピンとこないなぁ。……それに」
「うん?」
「君はもう子どもなだけじゃないだろう?」
「それは……そうだな」
頭に優しくキスを落として、言う言葉には逆らわない。
ああ、もしかして。
「玄冬」
「うん?」
「ひょっとして、したい気分かい? 今」
目元が赤く染まっていくのが可愛い。
何時になっても自分で誘いをかけることには羞恥を感じるらしい。
数え切れないほど抱き合っているというのにね。
「っ……! ……気分が乗らないなら別に……ん」
無粋な事を言いかけた口は口で塞ぐ。
そんなわけないだろうに。
さっきはちびを甘えさせてあげたからね。
今度は君の番だよ、玄冬。
「じゃあ、ベッドに行こうか。よっ……と」
「う……わ……っ!! 馬鹿、降ろせ!」
勢いをつけて玄冬を横抱きにすると、目元だけでなく顔中が紅潮した。
「誰も見てやしない。動くんじゃないよ、さすがに君を抱えるのは少しきついから」
昔はあんなに軽かったのに。本当に成長したものだよ。
「……だったら、降ろせばいいだろう」
「嫌だね。抱いて行きたい気分なのだから」
「勝手にしろ……っ」
勝手に、と言いつつもそっと首に回された手が可愛い。
そうやって、いつまでも甘えてくれるといいよ。
君だっていつになっても私の子なのだから。
2005/03/30 up ※後、個人誌にも収録
- 2008/01/01 (火) 00:12
- 年齢制限無