作品
それはさながら白昼夢のように
「おい、灰名様を知らないか」
後方から掛けられた声に振り向くと、第三兵団の副団長。
「いえ、存じませんが。お部屋にいらっしゃらなかったのですか?」
「ああ。しまったな……。
昼前に会ったときに渡し損ねた書類があるんだが……」
「よろしければお預かりしましょうか? 本日中なら良いので?」
「頼んでもいいか? すまん。
ちょっと今日はこれから市街に行かねばならなくてな」
「ええ、大丈夫ですよ。お気になさらず」
「では、頼む。……まったくなぁ、あの方ももう少し執務室にいてくだされば……」
独り言のようにぼやく副団長の背中を見送って、見えなくなったところで軽く息を吐く。
「お部屋にいらっしゃらないとしたら……あそこでしょうね」
訊かれなかったから言わなかったが、執務室にいない、陛下のところでもない、という時の居場所に心当たりはある。
が、あの方はそこに他の方に踏み込まれたくはないというのを知っている。
「……仕方ないですね。頼まれ事も出来てしまったことですし」
無理をして、出仕してこられるあの方も悪いのだ。
***
「やっぱりここですか」
王宮の裏手にある桜の木々。
春には見事に咲き誇るそこは、他に目立つ場所にも桜がある所為か、案外人の訪れは少ない。
まして、時期でない今なら尚のこと。
隊長はその中で一番大きな木の根元に寄りかかって眠っていた。
近づいてみても身動き一つしない。
顔色が悪く見えるのは、葉陰の所為ではないのだろう。
そっと、額に手を当てたら指先から伝わる熱は高かった。
不意に閉ざされていた目が開く。
手を除けると視線がぶつかった。
ほんの一瞬、悪戯の見つかった子どものような顔になる。
「……君か」
「すみません、起こしてしまいましたか」
「いや、あまり長く眠り込んでいるわけにもいかないから助かった。
午前中に受取り損ねた書類を、取りに……」
「これですか?」
持っていた封筒を見せると、灰名様の表情がふっと柔らかくなった。
「それだよ。彼から預かってくれたのか」
「ええ。市街に出なければならないとおっしゃっていたので」
「もう、そんな時間か。……困ったな、仕事になりやしない」
「……素直にご自宅で休んでらした方が良かったんじゃないですか?」
そもそも、副団長がぼやくのだって、弱ってるところを極力見られたくないこの方が、よく執務室を空けることから来ているのだ。
少し休みたい時に、人の来ないこの場所で休んでいるから。
事情を知ったら、ぼやかれはしないでしょうに。
が、以前それを言ったら必要以上に気遣われたくはないから、と却下されてしまった。
――気遣わせてしまうのは君一人で十分だからね。
勝手なことをおっしゃるものだ。
まぁ、心を委ねて下さってると思えば悪くはないけれど。
「先週ずっと休みっぱなしで?
君にだってその分負担が掛かっているんだろうに」
「私のことなぞ構いませんよ。これでも仕事は早い方ですから」
「うん、知っている。でも、それとこれとは別だ」
封筒の中身を確認し始めたのを見計らって、先に執務室に寄って持ってきていた承認用の判とペンを差し出す。
「用意がいいね」
「どうせ、それを確認なさったら私が陛下の所に持っていくのでしょう?」
「ああ。……すまない、背を貸してくれるかな。台代わりに」
「ええ、どうぞ」
それも予想のうちだ。
灰名様の前に背を向けて座り込むと、紙が乗せられ、その上をペンが走る感触が伝わる。
間もなくぽん、と判を押し、取り上げられた紙は私の肩越しに渡された。
「頼む」
「はい。確かに」
紙を受け取ると、そのまま背に頭が預けられる。
伝わってくる体温はさっきより高い。
こんな状態で王宮に出てこなければならないなんて。
「大丈夫ですか」
「うん」
「……大変ですね」
色んな意味を込めて、そう呟くと微かに笑う気配がした。
「……後三年だよ。
そうしたら息子が跡を継いでくれる。もう少しの辛抱だ」
「三年ですか。
その間、第三兵団の団長職を空位にするわけには行かない……のでしょうね」
出来るのなら、当にやっているのに違いない。
「『玄冬』存命時にそんなわけには、と反発を食らうのが関の山だろうさ」
「どうして、直接関係のない方に限って口煩いのでしょうねぇ」
「まったくだ」
小さな笑いに紛れて、咳が聞こえる。
……今日は残業決定、かな。
しばらく仕事にならなさそうだ。
「上着をお貸ししましょうか?」
「……出来れば肩も」
「はい」
背に寄りかかっていた頭が退けられたのを見計らい、上着を脱いで灰名様の隣に座り、私の肩に灰名様の頭が預けられると同時に脱いだ上着を灰名様の肩から掛けた。
「悪いね」
「いいえ。慣れました。
今日は帰ったら早く休んでくださいね、熱が上がっていますから」
「上がってる……? そうかい?」
「ええ、ほら」
手を灰名様の額に翳すと、ふ、と表情が崩れた。
よく見かけるようであまり見ない、上辺だけでなく本心から緩んだ顔。
「手が冷たくて気持ちいい」
「貴方が熱いんですよ。本当にしっかり休んでください。
今日はもう他に急ぎの用件はないはずです。
退出時刻までこうしてますから」
「すまない。……三年、か。
早く経って欲しいとも確かに思うんだけどね」
軽く息を吐いて、零れてきた言葉は予想外だった。
「……君と一緒に仕事が出来なくなってしまうのは……惜しいな」
「……灰名様」
間もなく、小さな寝息が聞こえてきて。確かに眠ってしまわれたのを確認してから、呟いた。
「お互い様、ですよ」
この方の傍は居心地がいい。
退役なさったら、会う機会は格段と減るだろう。
「このまま、時間が止まってしまったら……それはそれでいいかも知れませんね」
静かなこの場所で、穏やかに過ごす。
そんな白昼夢を見ながら、私も自分に少しだけ、と言い聞かせて目を閉じた。
2006/01/29 up
さり気なくプラスディスクでハマりました、灰文。
花唄での時間軸のあれで相当弱った灰名様を
(……なんかこの人は様付けしたくなりますねw)
さりげなく気遣う文官の図を書いてみたかったのでした。
ほんのり何かを匂わす程度にw
灰文→(時間の流れ)→文銀って、中々楽しそうな展開( ̄ー ̄)
それにしても、黒親子両方が全く関わってこないとか、凄まじく珍しい話(笑)
- 2008/05/01 (木) 00:00
- 灰文