作品
青空と落ちる影
[Kuroto's Side]
「いい天気だな」
洗ったばかりのシーツの皺を伸ばして干しながら、眩い空に視線を移す。
ほとんど雲もない、澄んだ青い空。絶好の洗濯日和だ。
こんな日は洗えるだけ洗うに限る。
もう夏の初めで気温も高いし、風もほどよくある。
きっと大抵のものは夜になるまでに乾いてくれるはずだ。
シーツを干しながら、昨夜汚したところの確認をする。
大丈夫だ、綺麗に落ちている。
――ああ、抜いた時に少し零れたね。これは洗濯が大変だな。
――その洗濯をするのは俺なんだが? 自分がやるような言い方をするということはやってくれるのか?
――ふふふ、残念ながら明日は朝から隣国の市場に行こうと思っていてね。そんなわけでよろしく頼む!
――そんなことだろうと思ったけどな。
どうせ、黒鷹にやらせたところでイマイチ詰めが甘くなるから、最初からやらせようとも思ってはいないのだが。
そういえば、市場にいくと行っていた割には黒鷹はまだ出かけてはいない。
何をやっているのやら。
「玄冬」
「うん?」
バサリ。
そんなことを思っていた矢先。
黒鷹の声に続いて、羽ばたきの音がし、自分のいるところが少し暗くなる。
空を見上げると鳥の姿になった黒鷹が、俺の方に飛んでくるところだった。
片腕を差し出すと、そこに止まり黄金の目が嬉しそうに細められる。
こいつは一人で遠出をするときは、大抵鳥の姿で近くまで行ってから人の姿になる。
その方が歩いていくよりずっと速いし、疲れる度合いも少ないということらしい。
ただ、帰りは荷物があるから飛んでくるということはしないけれど。
「そろそろ市場に行ってくるよ。何か欲しいものはないかい?」
「特には……あ、いや。そういえば塩がそろそろ切れそうだった。買ってきてくれ」
「わかったよ。他には?」
「後はいい。今回はどのくらいで戻る?」
「明日には戻るよ。隣国だからね。いい子にしてるんだよ」
黒鷹の首がすり、と俺の顔に擦りつけられる。
羽の感触が少しくすぐったい。
「わかった。気をつけていって来い」
「ああ。留守は頼んだよ」
身体を少し撫でてやると、黒鷹が腕から飛び立ち、見上げた空から影が顔の上に落ちる。
実はこの瞬間が結構好きだ。
行ってくるよ、という言葉の代わりに数度その場で羽ばたいて、飛んでいく姿はどことなく笑みが零れる。
遠くなっていく姿につい独り言が口をついて出る。
「……明日までは静かだな」
しばらくの間、その静かな時間は楽しいけれど、食事の時なんかは静か過ぎて物足りない。
この歳で寂しい、とかそういうのでもないとは思うんだが、何かが欠けてる印象は拭えない。
一人の食事、一人の風呂、一人の夜。
食事はともかく、他は黒鷹がいても一人のことはよくあるくせに、家の中にあいつがいないというだけで、何かが違う。
言ったらつけあがりそうだし、気を遣われて出かけなくなっても困るから、あいつに言うことはしないけれども。
「……早く帰って来い」
届かない言葉と知っているからこそ、こっそりと口に出してみる。
枕カバーを変えるのは、やっぱり明日にしておこう。
洗いたてのカバーは心地良いけど、それでは黒鷹の気配を感じられなくなってしまうから。
[Kurotaka's Side]
洗濯物の皺を伸ばす小気味よい音が外から聞こえてくる。
今日は天気がいいから、玄冬は早速朝食を済ませた後から洗濯を始めていた。
昨夜、汚してしまったシーツの汚れは落ちたかな。
どうしても行為の都度、汚れてしまうシーツ。
誰が洗濯するんだ、とあの子がぼやきながらも、それがまんざらではないと思っているのを知っている。
まぁ、毎回大変なのは玄冬だけど、人には向き不向きというのがあるわけで。
私は家事全般に不向きなので、素直に玄冬に任せておいた方が得策だ。
今日は前から隣国の市場に行こうと思っていたところだし。
丁度好みの蒸留酒が入荷される頃だ。
一通り身支度を整え、窓を開け、鳥の姿に変化する。
身体に当たる風が心地良い。
この風が好きでつい遠出の際には人の姿でいるよりも、目的地までは鳥の姿でいる。
まれに他の鳥と一悶着あったりもするが、この姿だと大きさの所為なのか、玄冬もほんの少し接し方が甘くなる。
それもまた嬉しい。
まぁ、両の腕であの子を抱けないのは些か残念なところではあるのだが。
「玄冬」
「うん?」
バサリ。
一声かけて、庭先のあの子の元に飛ぼうとすると、
自然な動作で片腕を差し出されたから、そのままそこに止まった。
「そろそろ市場に行ってくるよ。何か欲しいものはないかい?」
「特には……あ、いや。そういえば塩がそろそろ切れそうだった。買ってきてくれ」
「わかったよ。他には?」
「後はいい。今回はどのくらいで戻る?」
「明日には戻るよ。隣国だからね。いい子にしてるんだよ」
腕で抱くことの出来ない代わりに、首で玄冬の顔に擦りつくようにして甘える。
玄冬から少し笑う気配がした。
「わかった。気をつけていって来い」
「ああ。留守は頼んだよ」
玄冬が身体を軽く撫でてくれる。
この子は出発前にいつもそうやってくれるから、どうもこれがないと落ち着かない。
玄冬の腕を離れ、上空に飛ぶ。
行ってくるよ、という合図のようにその場で少し羽ばたいてから離れた。
風が本当に気持ち良い。
こんなとき、あの子も一緒に飛べたらと思う。
一緒に行けたら、きっともっと楽しいのに。
一人は気楽だ。
多少度を越えて飲んでも、口を出されることもないし、食事が偏りすぎていると眉を顰められることもない。
だけど。
やっぱり、玄冬と一緒にいる時間に敵う幸福はない。
「……出来るだけ、早く戻るとしようかね」
蒸留酒を手に入れ、塩を仕入れて。
少しふらりと見て回ったら、あの子の元に帰るとしよう。
――お帰り。黒鷹。
何時だったか、予定よりも少し早く帰ったときのあの子の嬉しそうな顔を覚えている。
一緒にいない時間を君も寂しく思っているのだろうと思うと嬉しくてたまらなかった。
不思議なものだよ、昔はこうやって諸国を回るのが楽しくて仕方がなかったのに、今は家で君と一緒に過ごす時間が楽しくて仕方がないのだから。
手に入れるだろう蒸留酒で、今度は何の酒を君に作ってもらおうかな。
ねぇ、玄冬?
2005/09/27 up
黒玄メールマガジンの第14回配信分から。
PC版と携帯版で視点変更版を出していたのを纏めて。
黒鷹が出かけている間の玄冬が、ほんのり寂しがって、それを知った黒鷹はそんな玄冬が可愛くてたまらない、の図を書くのが日常話では一番好きかも。
- 2008/01/01 (火) 00:02
- 黒玄