作品
君の名は
「文官、ちょっとこれを……」
「ああ、文官。丁度良いところに。この書類何だが……」
「少々、よろしいですかな文官殿」
「あ、文官のお兄ちゃんだ。こんにちは!」
***
「……というわけで。
最近、すっかり自分の名前を呼ばれる機会が少なくなってしまいましてね。
時々、自分でも自分の名前を忘れそうになりますよ。
……何を笑っておいでですか、灰名様」
ある日の昼下がり。
執務室にいるのは灰名様と私のみ。
こうして二人でお茶をするのは、何時の間にか休憩する時のお決まりのパターンとなってしまっている。
私が王立アカデミーを卒業し、城に上がり始めてから数ヶ月。
最初に灰名様が私を文官だ、と皆に紹介した所為で、気付けば自分の名前をそのまま呼んで下さる方がいなくなっていた。
特に難しい名前でも変わった名前でもないのに。
役職として間違っている訳では勿論無いのだが、何となく複雑に思ってしまう。
「ふふふ……いや、済まない。つい、おかしくて。
皆、素直だな。紹介した時の呼称、そのままで呼んでしまっているとはね」
「何処のどなたの所為だと思っていらっしゃるんですか」
「いいじゃないか。私は時々君をちゃんと名前で呼ぶだろう?」
「……本当に時々、ですけどね」
しかも、他の誰かがいるところでは絶対に名前で呼ばない。
二人きりの時に呼ばれたところで周りにそれが浸透するはずもない。
こうなるともう他の方々には本名を覚えて頂いているのかどうかも怪しいところだ。
「私一人では不服かい?」
「……返答に困る問いかけは止めて頂けませんか」
「何だ、それは寂しいな」
「誤解なさらないでください。
不服じゃないから困っているんじゃないですか」
数ヶ月前までは確かに日常的に呼ばれていた名前は、今ではこの方くらいしか呼ばない。
だから、困るのだ。
ただのありふれている名前が特別な意味を含んでいるかの様に聞こえてしまうから、それが嬉しいと思ってしまっている事に困ってしまっている。
そう、呟いたら灰名様は肯定も否定もせずに微笑んだ。
まるで全てのものに優しく降り注ぐ、穏やかな日差しの如くに。
2006/11/05 発行
個人誌『白銀の地に落ちるは柔らかな日差し』から。
ほとんど手は加えてません。灰文。
というわけで文官本名は不明……とw
- 2009/01/01 (木) 00:08
- 灰文