作品
檻の中に眠る魂 (黒鷹Ver.)
「言っておくけど。俺、悪趣味だよ?」
そう言って笑みを浮かべた、その顔が不快だった。
血の色の瞳がイヤに禍々しいものに感じた。
『救世主』たる名に沿わぬ、暗さを秘めた気配。
――嫌な予感は確信に変わるだろうと、そう思ったというのに。
***
「……どうしたことだ、これは」
酷く落ち着かない気分を抱えながら、あの子の過ごしていた部屋に向かう。
救世主が、『務めはもう終えたよ』と言って、ここを去ってから数刻。
いつもならば、その時点で感じているはずの喪失感は未だ感じられない。
『玄冬』と『黒の鳥』ならではの繋がり、揺るがぬ絆。
……玄冬が逝ってしまうときに、絶たれてしまう気配がいつもならするのに。
呼んでいるような気がした。まさかと思いたかった。
逸る気持ちを抑えきれず、扉を開ける動作さえ、もどかしくてたまらない。
部屋に踏み込むと、慣れたような慣れないような、だが、確実に馴染みつつある血の匂い。
室内の中央で胸を血塗れにした状態で、仰向けに倒れている玄冬に近寄ると、僅かに指先がぴくりと動いた気がした。
いや、違う。気がしたじゃない。動いたんだ。
喪失感が感じられなかったはずだ。
この子はまだ生きている。
「玄冬?」
「……ろ……た……っ…………ごっ……が……!」
呼びかけに反応して、薄っすらと目を開けて。
だけど、私の名前を呼ぼうとした声は咳き込んで途切れた。
口の端から流れる血は、肺から出血してるからだろう。
慌てて抱き起こし、胸に抱いた。
横になってるよりは苦しくないだろう。
実際、ほんの僅かに玄冬の表情が和らいだ。
「……カ……おま……が……汚…………っ! ……がふ」
「喋ろうとしなくていい。辛いだろう?
唇の動きでわかるから、声を出そうとするのはよしなさい。
汚れることなら、気にしなくていいから」
口元の血を袖で拭ってやりながら、数刻前の救世主の言葉を思い出していた。
――言っておくけど。俺、悪趣味だよ?
あれはこういう意味か……!
わざとなのだ。
直ぐには逝かせず、苦痛を長引かせ、緩慢に死を迎えさせる。
悪趣味にもほどがある。
歯噛みしたくなるのをこらえて玄冬の髪を撫で付けた。
笑みを湛えて、優しい形になる目にそんな顔をしないで欲しい、と言ってしまえたら、どんなにいいだろう。
いつだって逝く時、君は笑っている。
無理をするでなく、本心からの安堵の笑みだとわかってしまっているから、辛い。
そんなに優しくなくていいのに。
(黒鷹)
「うん?」
(……すまない)
「……何に対してだね」
(色々……だな。嫌な思いばかり……させている。いつも)
「……玄冬?」
鼓動が一際高鳴った気がした。
「まさか、覚えて……?」
何度も繰り返されてきたことを?
君が私に『殺してくれ』と告げたあれを?
(……最期の時に、傍にいてくれたのは初めて……だな。)
そう唇が動いて、手が宙を彷徨う。
焦点が微妙に合わないことにやっと気がついた。
そうか、もう見えていないのだね。
玄冬の手を取って、自分の頬に押し付ける。
出血で体温の下がった手は酷く冷たい。
それでも、かつては温かく、幾度も優しく私に触れてくれた手がただ愛しい。
「……いつ、思い出したんだい」
(ちょっと前、だな。意識が時々霞んだ時に、ふいに。)
「まいったね」
何も知らせずに逝かせられたら、と思っていたのに。
(お前は不本意かも知れないがな。)
「うん?」
(こうして逝けるのなら、幸せだと俺は思う。最期の瞬間までお前を感じられるから。)
「……だから、私は傍にいたくなかったんだけどね」
その言葉にまた思ってしまうから。会いたいと。
君のいない時間がたまらなく寂しい。
「……まだ、満足だといえるかい?」
(ああ)
「もう世界のほとんどは、君の存在を知らないよ。
御伽噺にでさえ、なっていないんだ。それでも?」
皆、知らない。世界が続いていけるその理由を。
『救世主』と『玄冬』の話はいつしか薄れてしまい、今では、ごく僅かの人間がその存在を知るのみだ。
この子が優しいから、世界を選んだから。
滅びは来ないのだということを知らない。
(でも、お前は覚えている。)
「…………」
(だから、それでいい。)
「私は……よくないんだけどね」
(俺……は……けふ……っ!)
「……っ!」
再び血を吐いたところを口付けて、口内に溜まっていた血を吸い出す。
呼吸の音が大分弱まっている。
(黒……鷹……)
「いい。……もういいから、そのまま、じっとしていたまえ」
(……すまない)
「謝らなくていいよ。
……どうせ、それでも約束を反故にしていいとは言ってはくれないんだろう?」
(ああ。……なぁ、もう一度……)
「うん? ああ」
微かに口元の方に動いた指に意図を悟って、口付けを交わす。
血の味でさえ愛しいと思うのは、もう病んでいる証拠だろうかね。
「黒鷹」
唇を離した途端に擦れてはいるけれど、存外にしっかりした口調で名前を呼んだ。
「有り……難う」
一層優しく笑って、その目が閉ざされ。力の抜けた手と身体。
ようやく、楽になれたかな。
礼なんていらないのに、ね。
「おやすみ、玄冬。よい夢を。……また……会おう」
瞼に口付けを落としながら、思う。
また、私は約束を守らずにいられない、と。
もう一つの方法を言えずにいる私に、追い討ちをかけるような真似をするのは狡いよ、玄冬。
だから、いつまでたっても。
この箱庭という檻から出られない。……君も私も。
***
「へぇ、思ったよりはもったんだ。加減、上手くいったかな」
後ろから聞こえてきた声は笑いを含んでいる。
それが酷く癇に障った。
そもそも、何故役目を終えた彼がここにいるのか。
その事が一番気に入らない。
二人でいたところに、無粋に踏み込まれて、苛立ちが募る。
「……何の用だい」
「別れの挨拶できたでしょ? たまにはいいんじゃな……」
最後までは言わせず、喉元を締め上げた。
「黙りたまえ。このまま喉を掻き切られたくなければね」
「すれば、いいじゃ……んっ。役目、終わったし……さっ……」
「……できるものならね」
いつも、玄冬が逝った後。
殺してやりたいと思う。
だが、それはあの子が望まない。
絶対に悲しむのがわかるから、ただ死を望むだけにしている。
できる限り、無残に散ってしまえばいいと。
願うだけなら許されるだろう。
手を離してやると、途端に咳き込んだ。
その様子に玄冬の最期を思い出す。
あの子はもっと苦しかっただろう。痛かっただろう。
辛い思いなどさせたくはなかったのに。
「……そんなに大事なんだ」
「この子より優先させるものは私にはないよ」
背を向けて、玄冬を抱えた私に嘲笑とも軽蔑とも、あるいは羨望ともとれるような、なんとも複雑な感情を含めた言葉を投げかけてくる。
お前の事情は知らないし、知るつもりもない。
白梟が今回の君をどう育てたのか、それも私にはもうどうでもいいことだ。
「じゃあ。またいずれ」
「……それ、どうするの」
「弔うに決まっているさ」
「……いいね、玄冬は」
「どういう意味だい」
「多分、あの人は俺が死んでも、そんな風に心を傾けてくれない」
「……そう思うなら、それをあの人に言えばいいだろう。私には関係のないことだ」
「…………そうだね」
苦笑交じりの声には感慨もなく。
そのまま、無言で転移装置を使い、その場から去る。
さて、どうしようか。
また、長い時間が出来た。
とりあえずは二人で桜でも眺めに行こうか。
二回目の君と春になる都度過ごした場所は、今もあのままなんだよ。
もう何度も輪廻を繰り返すほどの時が経っても変わっていないんだ。
あの頃を懐かしみながら、咲いて、散り逝く桜を二人で愛でよう。
君のその身が、私の胸の中で朽ち果てるまで。
2004/12/23 up
黒玄祭出展作。黒鷹視点。
up日が地味にクリスマス前後になっていたのに驚き。暗!w
ほんのり救世主→黒玄っぽいのは黒玄前提救鷹が好きだからw
うちでは基本的に玄冬が死ぬ間際に黒鷹は傍にはいないというのが前提なのですが、これはその例外をやってみたくて書いた話。
同人誌「Ad una stella」にも視点変更版をリメイク収録。
バレバレでしょうが、自分で気にいった話は視点変更版をやるクセがあります。
- 2008/01/01 (火) 00:04
- 黒玄